松下電器産業

「華麗なる一族」を感じさせる葬儀

日本の経済界に名を馳せた人物として今でも強い影響力を持っている人物と言えば、松下幸之助氏が有名です。
松下幸之助氏は松下電器産業(現在の社名はパナソニック)を一代で大きな会社に成長させた実業家として有名ですが、松下政経塾という政治塾を設立して現在でも活躍している政治家を多く輩出したことでも知られています。
素晴らしい功績を残した松下幸之助氏の娘婿になり、二代目社長として君臨したのが松下正治氏です。
そして、工業高校を卒業してから叩き上げでどんどん出世し、最終的には社長の座に上り詰めたのは三代目社長の山下俊彦氏です。
松下電器産業・パナソニックの歴史を語るうえで欠かせない3名の社葬のエピソードをご紹介します。

松下幸之助

経営の神様として現在でも目標としている人が多く、強い影響力を与えているのが松下幸之助氏です。
1894年生まれで、明治から平成まで日本が大きく変化した時代を生きていた方です。
1989年に94歳で亡くなるまで、日本国内だけでなく海外にもたくさんの人に慕われ続けていました。
葬儀にはたくさんの方が参列しましたが、特に注目されたのは海外の電機メーカーとして有名なフィリップスの元会長でもあったデッカー氏です。
オランダに住んでいるデッカー氏は、足が悪いため引きずるようにして杖をつきながら盟友の葬儀に駆け付けたそうです。
生前、幸之助氏は現在の松下電器が存在しているのはフィリップスのおかげだったと語っていたほど、二人の関係はとても密だったことがわかります。

松下正治

幸之助氏の娘と結婚をして婿入りをする形になった松下正治氏は東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業後に三井銀行に入った実績がある、いわゆるエリートです。
家計のためとはいえ、尋常小学校を中退して学歴がなかった幸之助氏とは全く異なる経歴の持ち主でした。
幸之助氏の娘と結婚をしたことで松下電器産業に入社してその後取締役、副社長などと出世していきます。
しかしあまりにも影響力がある義理の父親の幸之助氏に対しては頭が上がらなかったようです。
社長に就任してからは会社の発展に尽力しましたが、親族が経営していた松下興産の経営破綻の影響で大きな資産を失ったと言われています。
社葬では当時の野田首相をはじめとして様々な会社のトップが死を悼みました。

山下俊彦

三代目社長として異例の出世を遂げた山崎氏の登用は、創業家が徐々に経営に影響を無くしていくきっかけになったと言われています。
思いがけない人事で出世したことを「山下跳び」と表現した話は今でも有名です。
大阪市内で開催されたお別れの会には企業関係者をはじめとした約千人が献花を行いました。
実際に仕事をしていた当時の写真などが展示されて在りし日の姿を懐かしむ方がたくさんいました。